床オナニーが原因で膣内射精障害となり、後には早漏になった私だが、T枝というパートナーのおかげですべて克服し、まともなセックスができるようになった。
残念ながらT枝とは別れてしまったが、それ以降、女性とのセックスで不自由な思いをすることはなかった。その頃の私はバンドマンをしていて、ファンの女の子、対バンのメンバー、スタッフ、ミュージシャン仲間、自分のバンドのメンバーなど、周りに女性がたくさんいて奔放な関係を楽しんでいた。・・・、音楽とお酒と女というロックな日々をすごしていたのだ。
脈のありそうな女性をお酒に誘っていい感じに酔っぱらったあとは、ホテルか、あるいは一人暮らしの私の部屋に誘ってその日のうちにセックスをした。その子とは何度か遊んで自然消滅。それがパターンだった。
さすがにお酒を飲みすぎた夜には途中で萎えてしまうこともあったが、翌朝リベンジすれば何の問題もなかった。かつて射精障害で悩んでいたことなんてすっかり忘れてしまうくらい、セックスに関しては順調だった。
ただひとつ、問題があった。私は包茎だったのだ。セックスや射精には問題がなかったが、皮をかぶったペニスが恥ずかしくていつもセックスをする時は電気を消していた。女性を気遣ってとか、ムードを出すために暗くするというわけでなく、自分のペニスを見られたくなかっただけだった。以前は勃起をしても亀頭が顔を覗かせる程度だったのがこの頃になると勃起した時には剥けている仮性包茎だったので、おそらく女性にばれることはなかったと思う。セックスが終わったらすぐにパンツを履くことは怠らなかった。
しかしある時、ついに決心して包茎手術をした。こういうことは彼女がいない時期にやっておくのがちょうどいい。高校デビューで、春休みに茶髪にしたりするのと同じようなものかもしれない。ネットで検討し、専門のクリニックに行った。費用は5,6万円だったと思う。アルバイトに精を出して工面した。手術はあっという間に終わった。10日間くらい消毒を繰り返し、なるべく勃起しないように安静に過ごした。先生からは1ヶ月はセックスはしないように、と言われていた。当時の私にとってはなかなか厳しかったが、傷が裂けたりするのが怖かったのできちんと守った。
1ヶ月後、問題なくセックスができた。
包茎のコンプレックスがなくなって、ますますセックスが楽しくなった。
お金はなかったけれど、若さにあふれていたし、女の子にももてて不自由はなかった。
やがて30歳になった頃、音楽の道をあきらめて就職した。成功なんて一部の人間にしか訪れない。夢を見るのは自由だが、「夢は必ず叶う!」なんてことは嘘っぱちだ。それは夢を叶えた0.1%のラッキーな選ばれた人間だけに当てはまる非常にまれな特別なことだ。
仕事は思ったよりも楽しかった。先が見えない音楽を目指していた毎日よりもはるかに充実していた。私は他人より出遅れた分、懸命に仕事に励んだ。
やがて、現在の妻と出会い、子供を授かった。
幸せな日々が続いた。
でもひとつだけ問題があった。
私たち夫婦の間には子供が生まれて以来、夜の営みがまったくなかった。
私たちはセックスレスだったのだ。